VIECは2000年の創立以来、のべ10,000人を超える留学生のサポートを行って参りました。小学生からシニアまで幅広い年齢層のニーズにあわせた留学プランをご提案致します。
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あの日、あの時 ~11-Sep-2001を想い~
2019年09月11日(水)
テーマ: VIECスタッフの独り言
あの、ニューヨーク同時多発テロから18年も過ぎた事が信じられません。
2001年9月11日、沢山の方が亡くなり、傷つき、世界中が震撼した出来事でした。
18年前より、10年前より、5年前より報道が少なくなって行っている事に、風化の現実を思い知ります。
「あの日、あの時」、VIECスタッフにどんな1日だったか聞いてみました。
************************************************************************************
Aさん
あの時は、確か、自分の部屋でファンのT.M.Revolutionのラジオを聞いていました。(いらない情報ですが、あの頃は人気大絶頂、週に2つも個人MCのラジオ番組を持っていました!笑)
中盤、いきなりラジオの生放送が中断し、ニュースに切り替わりました。
毎週楽しみにしていたラジオ番組だったので、「なんだよ!」と最初は思いましたが、ただ事ではなさそうなので、下の階のリビングでテレビを見ると、家族が「スマスマ」を見ていましたが、これも生中継に切り替わり、飛行機が1機、また1機と、ビルに突っ込む生映像を目の当たりにしました。
まだ残暑で、半そで短パンのパジャマを着ていましたが、全身の血の気が引きゾワゾワと鳥肌が立って、とても怖くなったのを覚えています。
あの当時はまだNYには行った事がありませんでしたが、アメリカには行った事があったので、とても現実とは思えませんでした。
Mさん
大学生だったので、アルバイトから帰った際にニュースを知りました。
帰国子女の友達のお父様がこれにより亡くなり、皆で悲しみました。
ニューヨーク大学出身の友達もショックを受けて身近で怖いことが起こりうるんだと実感したことを覚えています。
Sさん
NYテロがあった2001年の9月11日、私はまだ13歳、中学1年生でした。
正直、その日に何をしていたのかは覚えていませんが、次の日の朝のテレビはどれを取ってもテロのニュースが流れており、ビルが崩れていくシーンがずっと流れていたことを覚えています。
日に日に大きくなっていく犠牲者の数に、XXXXXXというグループはなんでこんな悪い事をするんだ!と子供ながらに憤りを感じたことを覚えていますが、好きなテレビ番組が特番のニュースでなくなってしまい、残念と思っていた不謹慎な自分があったことも覚えています。。。
今大人になり改めて振り返ると、ことの重大さが全然わかっていなかったんだと実感します。
Mさん
カナダの別の土地で仕事をしていた私は、同僚のカナダ人が、「Oh my god!!!」を連呼して事務所に入って来て、皆が驚き、一緒にCNNの放送をコンピューターで見ました。そして、周りで色々な事が起きました。その日の朝、いきなり、セスナ機から大型機まで全てが飛行禁止になったり、ご出発したお客様が途中の乗り継ぎ地で立ち往生しパニックになりお電話頂いたり、混乱を極めて状況でした。私自身も、「映画じゃないの?現実?」と何度も思っていましたが、情報が入るにつれて、現実味を増して、「ああ、世界はどうなるのか?世界が終わるの?このままカナダで死ぬの?」と恐怖を感じていました。まさしく、恐怖です。一人になるのが怖かったのと覚えています。北米に住んでいたので、より現実味があり、驚きより“恐怖”を感じた1日でした。
東京発アメリカ行きの(アメリカ国内の空港は全地域で閉鎖されたので)行き場を失った飛行機が緊急着陸し、500名以上の乗客が小さな街にあふれ、市の要請で対応・通訳に出向いたりと目まぐるしい1日でした。当時はスマートフォンもありませんし、やっと普及してきたインターネットで情報を得てましたが、ラジオやTVからの情報が一番でした。個人が簡単に状況把握ができない状態でパニック状態になるお客様もおりました。文字通り、皆が一応にパニック状態でした。
小さな街から出れない方々が多く、(テロと言う現実の)状況を説明に行けば、殴られる勢いで怒声をあびせられたりしました。今思うと、極限状態で怒りをどこにぶつけて良いのかわからない状況で、(当時は)若い女の人が淡々の説明をしたので、切れてしまったのだと思います。旅行会社各社はテロは免責ですので、その時点でサポートを放棄し帰国できないお客様が多かったので、その後の対応に数日は忙しく動いていました。あの時、今よりも情報収集の方法は少なく、皆が“初めての事”で、対応に苦しんだのは事実です。
状況を逆手に取って、オーロラツアーに参加されてる方や犬ぞりに乗りに行ってる方もいて、「人間はこうも反応が違うのか」と知った1日でもありました。
********************************************************************************
たぶん、2001年当時、皆さんは、まだ子供であり、学生であり、色々な想いをしたと思います。又は生まれる前の出来事として知ってる方も多いと思います。18年前、世界が大きく変わりました。そして、今も(悪い意味でも)変わり続けているのが残念です。月並みですが、二度と同じ事が起こらないで欲しいと願うばかりです。私達は世界を変える事はできませんが、自分の周りを幸せにしていけば、大きな幸せにつながると信じております。
世界人類が平和であります様に。。。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
2019年9月11日 ビクトリアにて
MK
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あの日、あの時 ~11-Sep-2001を想い~
2019年09月11日(水)
テーマ: VIECスタッフの独り言
あの、ニューヨーク同時多発テロから18年も過ぎた事が信じられません。
2001年9月11日、沢山の方が亡くなり、傷つき、世界中が震撼した出来事でした。
18年前より、10年前より、5年前より報道が少なくなって行っている事に、風化の現実を思い知ります。
「あの日、あの時」、VIECスタッフにどんな1日だったか聞いてみました。
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Aさん
あの時は、確か、自分の部屋でファンのT.M.Revolutionのラジオを聞いていました。(いらない情報ですが、あの頃は人気大絶頂、週に2つも個人MCのラジオ番組を持っていました!笑)
中盤、いきなりラジオの生放送が中断し、ニュースに切り替わりました。
毎週楽しみにしていたラジオ番組だったので、「なんだよ!」と最初は思いましたが、ただ事ではなさそうなので、下の階のリビングでテレビを見ると、家族が「スマスマ」を見ていましたが、これも生中継に切り替わり、飛行機が1機、また1機と、ビルに突っ込む生映像を目の当たりにしました。
まだ残暑で、半そで短パンのパジャマを着ていましたが、全身の血の気が引きゾワゾワと鳥肌が立って、とても怖くなったのを覚えています。
あの当時はまだNYには行った事がありませんでしたが、アメリカには行った事があったので、とても現実とは思えませんでした。
Mさん
大学生だったので、アルバイトから帰った際にニュースを知りました。
帰国子女の友達のお父様がこれにより亡くなり、皆で悲しみました。
ニューヨーク大学出身の友達もショックを受けて身近で怖いことが起こりうるんだと実感したことを覚えています。
Sさん
NYテロがあった2001年の9月11日、私はまだ13歳、中学1年生でした。
正直、その日に何をしていたのかは覚えていませんが、次の日の朝のテレビはどれを取ってもテロのニュースが流れており、ビルが崩れていくシーンがずっと流れていたことを覚えています。
日に日に大きくなっていく犠牲者の数に、XXXXXXというグループはなんでこんな悪い事をするんだ!と子供ながらに憤りを感じたことを覚えていますが、好きなテレビ番組が特番のニュースでなくなってしまい、残念と思っていた不謹慎な自分があったことも覚えています。。。
今大人になり改めて振り返ると、ことの重大さが全然わかっていなかったんだと実感します。
Mさん
カナダの別の土地で仕事をしていた私は、同僚のカナダ人が、「Oh my god!!!」を連呼して事務所に入って来て、皆が驚き、一緒にCNNの放送をコンピューターで見ました。そして、周りで色々な事が起きました。その日の朝、いきなり、セスナ機から大型機まで全てが飛行禁止になったり、ご出発したお客様が途中の乗り継ぎ地で立ち往生しパニックになりお電話頂いたり、混乱を極めて状況でした。私自身も、「映画じゃないの?現実?」と何度も思っていましたが、情報が入るにつれて、現実味を増して、「ああ、世界はどうなるのか?世界が終わるの?このままカナダで死ぬの?」と恐怖を感じていました。まさしく、恐怖です。一人になるのが怖かったのと覚えています。北米に住んでいたので、より現実味があり、驚きより“恐怖”を感じた1日でした。
東京発アメリカ行きの(アメリカ国内の空港は全地域で閉鎖されたので)行き場を失った飛行機が緊急着陸し、500名以上の乗客が小さな街にあふれ、市の要請で対応・通訳に出向いたりと目まぐるしい1日でした。当時はスマートフォンもありませんし、やっと普及してきたインターネットで情報を得てましたが、ラジオやTVからの情報が一番でした。個人が簡単に状況把握ができない状態でパニック状態になるお客様もおりました。文字通り、皆が一応にパニック状態でした。
小さな街から出れない方々が多く、(テロと言う現実の)状況を説明に行けば、殴られる勢いで怒声をあびせられたりしました。今思うと、極限状態で怒りをどこにぶつけて良いのかわからない状況で、(当時は)若い女の人が淡々の説明をしたので、切れてしまったのだと思います。旅行会社各社はテロは免責ですので、その時点でサポートを放棄し帰国できないお客様が多かったので、その後の対応に数日は忙しく動いていました。あの時、今よりも情報収集の方法は少なく、皆が“初めての事”で、対応に苦しんだのは事実です。
状況を逆手に取って、オーロラツアーに参加されてる方や犬ぞりに乗りに行ってる方もいて、「人間はこうも反応が違うのか」と知った1日でもありました。
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たぶん、2001年当時、皆さんは、まだ子供であり、学生であり、色々な想いをしたと思います。又は生まれる前の出来事として知ってる方も多いと思います。18年前、世界が大きく変わりました。そして、今も(悪い意味でも)変わり続けているのが残念です。月並みですが、二度と同じ事が起こらないで欲しいと願うばかりです。私達は世界を変える事はできませんが、自分の周りを幸せにしていけば、大きな幸せにつながると信じております。
世界人類が平和であります様に。。。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
2019年9月11日 ビクトリアにて
MK
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